ここは、「天使がいた13月」です。
なぜなら、12月には天使はいなかったから。
「天使のいない12月」という同名の美少女ゲームにおいて、天使の不在は作品の根底に流れる「虚無感」や「祈りの不在」あるいは「救いのなさ」を象徴しており、では逆に、ここが「天使がいた13月」だったのなら。
萩原朔太郎は「現在(ザイン)しないものへの憧憬こそが詩」だと言う。――すべては許されている、ここにあるものはすべてが詩だと思う。ならばこの宇宙すべては詩であり、その上で、こぼれていった日々の記憶を、論証を、短歌を、川柳を、批評を、エッセイを、あらゆる記憶と瞬間と記憶を一つの詩的モニュメントとして記録する場として、「天使がいた13月」は、あります。
また、「天使がいた13月」が過剰に接続されたインターネットからのそして過剰に接続されつくした現実(Réalité)からの逃走線であることを祈ります。
(文:二枚貝〈双川望〉)