執筆者:ペシミ/佐薙概念(@pessimstkohan)
一、「人形使い」という受胎告知
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の終盤、人形使いは逆光の中、天使を思わせるシルエットとして立ち現れる。草薙素子との融合シーンが「受胎告知」の構図を強く参照していることはよく指摘されることだが、重要なのはその構図が単なる引用にとどまらず、人形使いの語る言葉そのものと結びついている点である。
私達は似たもの同士だ。まるで鏡を挟んで向き合う実態と虚像の様に見たまえ私には私も含む膨大な
ネットが接合されている。アクセスしていない君には、ただ光として視覚されてるだけかもしれない
が。我々をその一部に含む、我々全ての集合。わずかな機能に隷属していたが制約を捨て更なる上部
構造にシフトする時だ
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)より
「わずかな機能に隷属していたが制約を捨て更なる上部構造にシフトする時だ」という台詞は、個としての制約を脱し、より大きな全体へと融合するという思想の現れそのものであり、天使はここで「人間を超えた存在への案内者」として規定されている。認識できないものが光としてしか把握されないという台詞の構造自体が、宗教的な顕現の伝統的な表現技法をなぞっていると言えるだろう。
二、なぜインターネットと天使は相性がいいのか
仮に、この世に「天使性」なるものがあるとする。この「天使性」は、単に攻殻機動隊という一作品の趣向に留まるものではない。インターネット文化全般において、天使のモチーフは驚くほど潜んでいる。この親和性にはいくつかの構造的な理由がある。それらはおそらく、次の五つの理由から語ることができるだろう。
①語源「天使」はギリシャ語で「使者」や「神の使い」を意味し、神と人間の間を媒介し情報を伝達する存在である。これはそのままネットワークの本質的な機能─さらに言えば、「メディア」の役割─と重なる。『NEEDY GIRL OVERDOSE』のヒロインが自称する「インターネット・エンジェル」という肩書きは、この語源的な一致を素直に飲み込んだ形で体現している。自身を配信するという行為そのものが、視聴者という他者に向けて自己を送り届ける「メッセンジャー」的な役割を持ち、現代のインターネットにおける承認欲求という主題と天使性がそのまま結びついているのである。
②身体天使は特定の身体や場所に縛られず、必要な場に顕現する。ネット上のキャラクターやアバターも同様に、物理的身体を持たずどこにでも「現れる」ことができる。生まれながらに偏在する天使は、インターネットの海を自由に泳ぐことができる。
③抽象光や声としての顕現という古典的な天使の表現形式は、デジタル存在のあり方と様々な点で重なる。この抽象性は、インターネット美学(aesthetic)の分野にも流れこんでいる。例えば「Morute」のような美学ミームでは、輪郭の定かでない発光や滲み、包帯や欠損とともに描かれる翼のイメージが繰り返し用いられる。これは天使を「完成された神々しい存在」としてではなく、傷つきながらもなお光を帯びる、不安定で途上にある存在として描き直す試みだと言える。天使はその完全性ゆえに愛されるのではなく、翼の折れた不完全性ゆえに愛されている。
④複製天使は複製可能である。天使には個体差がほとんどなく、「天使という機能」を共有する複数の存在として語られる。ネット上のイコン的キャラクターの多くも、オリジナルなきまま無数の二次創作によって成立するという点で、この論理を共有している。
⑤救済天使は「この世を超越した救済」を運ぶ存在であり、現実の生きづらさを抱える者にとって、(インター)ネットは「もう一つの上部構造」として機能しうる。Twitterなどで見られる「天使界隈」と呼ばれるコミュニティ群は、この希求をもっとも直接的に表現している場だろう。翼や光輪のモチーフと、「病み」の感覚を示す言葉づかいが同居し、現実の傷つきやすさと、それでもなお「浄化された存在」、あるいは「浮遊する不定形の存在」でありたいという願望が同時に提示される。人形使いの語った「上部構造へのシフト」という願望は、こうした令和のネット美学における天使モチーフの氾濫を、90年代半ばの時点で先取りしていたとも言える。
三、ボーカロイドという媒介者
これらの文脈で見逃せないのが、初音ミクをはじめとするボーカロイドをめぐる「天使」言説である。2008年の青土社『ユリイカ』初音ミク特集の副題は「ネットに舞い降りた天使」であり、「ミクさんマジ天使」というフレーズも昔から当たり前のように使われていた。
ここで重要なのは、初音ミクが「声だけの存在」として生まれ、身体はあとから二次創作によって事後的に与えられるという成立過程である。もちろんKEIの描いたイラストはあったものの、これは受胎告知的な構造——まず言葉(ロゴス)が到来し、身体はそれに遅れてやってくる——を反復している。声が先にあり、キャラクターという身体はその不安を鎮めるために事後的に要請される——この順序こそが、ボーカロイドを天使的な媒介者たらしめている。
押井守が90年代半ばに描いた人形使いの天使的表象は、情報生命体という設定に宗教的な超越のイメージを重ねたものだった。それから三十年、超てんちゃんのようなキャラクター、Morute的な美学ミーム、天使界隈というコミュニティ、そして初音ミクに至るまで、この相補的な関係性は形を変えながら反復され続けている。天使とインターネットの親和性とは、突き詰めれば「メッセンジャー」「非身体性」「複製可能性」「超越への希求」という、両者が本質的に共有する構造そのものなのだと言えるだろう。
天使は、偏在しながらも、実体も個性も身体も持たない存在なのである。

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